薔薇は紅くそして君は、

 ぼくの顔を知らなかったとは敬愛すべき父上の領民も落ちぶれたものだね、と芝居がかった大げさなしぐさで頭を振って、彼はにっこりと笑った。
「それじゃあ教えてあげようから、よくお聞きね。サパー伯が一人息子、コーデリア子爵のウィリアム・ジェイムズ・チャリティとは、まさにぼくのことだよ!」
 いいかい、覚えておくんだよと続けながら、ウィリアムは正面のドアからひらりと小屋の中に飛び込んできた人影が、はっと振り返る人攫いの左胸に深く剣を突き刺す様をながめていた。血なまぐさい場面は、慣れているとは言わないが、眉をひそめる程度の不快さをしかウィリアムにもたらさない。
 ほとんど一瞬で絶命した人攫いは、人影に足蹴にされて剣の支えを失い、ゆがんだ死に顔をさらしてどっとその場に倒れた。人形じみた滑稽なその様に、ウィリアムはくっと唇の片側だけを持ち上げて笑った。
「……まあ、もう遅いけれどもね」
「何が遅いものですか、ウィリアム様!」
 抑えた声ながら激怒を隠せないその様子はまるで耳にも目にも入らない、といった様子で、ウィリアムは楽しげに手を叩いた。
「やあ、ローズ! 麗しの薔薇の騎士! 薔薇は紅い、菫は蒼い、砂糖は甘く、そして君は今夜もとても素敵だ!」
 よちよち歩きのアヒルの子どもか、そうでなければ短い尻尾をはちきれんばかりに振る子犬のように少年から青年へと足を踏み出しかけ、骨格がごつごつと目立つ不恰好な身体が寄って行くと、その人はあからさまにため息をついた。刀身にまとわりついた血を、どこから出したものか粗末な布でぬぐって鞘におさめながら、ウィリアム様、と低い声でローズはまた彼を呼ばわった。薔薇云々のウィリアムの賛辞は、きっぱりと無視されたらしい。
「簡潔にお答えください。あの馬鹿げた手紙は、あなたがお書きになったのですか」
 うめきながら、ローズは懐から一面に皺が寄り、端などはちぎれてしまって無残な姿に落ちぶれてしまった手紙を取り出した。それからはかすかに薔薇の香りが漂い、差出し人が高貴で、しかも風流な人であることをしめしていた。
 ウィリアムは悪びれもせずにうなずいて、うふふと悪戯めいて笑った。
「ああ、きちんと届いたんだね、良かったあ。何しろほら、どう見ても彼ら、その程度の脳味噌があるふうには見えなかったろう? 君に届けてくれるか心配でね――」
「ウィリアム様!」
 今度こそ大声を抑えきれずに、ローズは二度目の癇癪玉を破裂させた。そうしてもう心底耐えかねる、といった態度でウィリアムの腕を容赦なくがしっとつかむと、ずかずかと開け放たれたドアに向かって歩いて行った。転がっていた死体の頭を、いかにも邪魔だと言わんばかりに蹴り飛ばすのにウィリアムは下品に口笛を吹いた。まったく、異教の主神に仕える九人の乙女たちも裸足で逃げ出す度胸の良さだ。
 小屋の外には点々と、いくつかの死体が転がっていた。どれもこれも似たり寄ったりの悪人面で、ウィリアムはそれらが彼をここへ連れてきた人攫いたちの成れの果てだと知っていた。主犯格は彼にペンと紙を渡して家に手紙を書け、とせまったあの小屋の中の男だろうが、どのみち共犯者たる彼らも、ローズが殺さなかったとしても縛り首の運命だった。それを思えば暗闇で背後から心臓を一突きなど、まだ幸せな死に様だったと言える。
「領内とはいえ、お独りでお出かけなどおやめくださいと、ですからいつも申し上げておりますのに……」
 護衛――というよりお守りとしてつけられている――のローズをまんまと撒いて逃げ出したのはウィリアムであり、その結果がこれである。愚痴っぽくローズがぼやくのはいつものことだったが、今日ばかりは常になく疲れている様子だった。ウィリアムの言い訳も、自然といつもよりも力のないものになった。
「次の鐘が鳴ったら帰ろうと思ってはいたんだよ。君だっていつもの場所で待っててくれたんだろう?」
「半日も気をもんだ挙げ句に、お待ち申し上げた方はいらっしゃいませんでしたけれどね」
「代わりに不吉なものが道をやってきた、と。やあエリザベス、君も来たのかい」
 エリザベスと呼ばれたローズの馬は、少し離れた場所にひとりきり、おとなしく主を待っていた。筋肉質でよく手入れされた鹿毛はウィリアムにもなじみの一頭で、月に照らされて二人が姿を見せると歯を見せて笑いかけ、ひづめで足元の土をかいた。
「さて、帰りはぼくが走らせようね。あんなせまいところに閉じ込められて、まったく身体がどうかなりそうだったよ!」
 ウィリアムは言いながらベスに乗り上がり、さっと手綱を片手で取った上でローズに空いた手を差し伸べた。ローズは憤慨したようなこまったような表情を見せたが、わずかにためらってから失礼致します、とウィリアムの手を借りて彼の前にふわりと横乗りになった。つまり鬼神の働きを見せた彼女も、その類まれな武功の後では虚勢さえ張れないほどに疲労していたということだった。
 ウィリアムは軽くベスに拍車を入れて、並足で歩かせた。季節は初夏、今宵は満月、薔薇の化身と二人で相乗り。狂ったように馬を走らせるには、あまり最適とは言えない状況である。
 ローズがためらいがちに、ウィリアムの腰に腕を回した。彼女はその役目がら、貴婦人のたしなみに慣れていない。空中に放り出された二本の足を、あきらかに持て余していた。
 ウィリアムはひそかに笑って、彼女の気をまぎらわせようと口を開いた。
「あの手紙はね、本当のところ彼らに書けと言われて書いたものだったんだ。彼ら、ご丁寧に紙とペンまで用意していてね――まあ文字を書くほどの頭はなかったみたいだけど」
「わたし独りきりで来るようにだとか、父君に申し上げてはならないだとか、そんなことも指図されたのですか」
 茶化すようなウィリアムとは対照的に、ローズは静かに言った。
「後ろ半分は彼ら、前半分はぼく。……父上にご迷惑をかけるわけにも行かないし、君なら大丈夫だと思ったからね。まあいつものところに君がいなければ、しょうがないから城に行けと言うつもりだったけど」
「――わたしが!」
 激昂したように叫んで、突然ローズはうつむいて黙り込んだ。ウィリアムの腰に回された彼女の手が、きつく彼の服をつかんでいる。ローズは喘ぐように息をつき、ようやく顔を上げたが、それは今にも泣き出さんばかりの無様な表情だった。ウィリアムはぎょっとしてわずかに身を引いた。
「わたしが、どれだけ心配し申し上げたとお思いです? すべてお話しして父君に怠慢をとがめられる方が、いっそ死ねと仰せつけられた方が、どれほど気が楽だったか……!」
 ローズが泣き崩れてしまわなかったのは、彼女の並みの男よりもよほど強固な誇りゆえだったとウィリアムは知っていた。騎士でなければ、彼女は泣いてしまいたかっただろう。
 ローズ、とウィリアムはぎこちなく彼女の背を撫でた。彼はまだ若く、それゆえに愚かなあやまちを犯すことがしばしばあったが、同時にその若さは彼に素直に己に恥じ入る心をも与えていた。
 だから我知らず、いつになったら、とウィリアムは唇をかみしめていた。いつになったら、自分は本物の愛情というものを彼女に注ぐことができるのだろう。
 彼女の姿を暗闇の中で見た時、本当は一番最初にありがとうと言いたかった。帰りの手綱をにぎったのは、苦労させてしまった彼女をいたわりたかったからだった。そもそも、手紙に「独りきりで」と書いたのは、父に知らせることで護衛の彼女を気まずい立場に追い込みたくなかったからだった。身の安全とローズの進退と、秤にかけてみれば前者はこんなにも軽いものだったのだ。
 だが自分はどうしようもないほどに子どもで、口からこぼれる言葉と身体がしめす態度はまるでひねくれている。それはひどく悔しいことだった。
 ローズはそれきり黙りこみ、ウィリアムは色々と考えをめぐらせながらほとんど上の空でベスを繰っていたが、利口な馬は主たちをおもんぱかって静かに歩を進めた。夜はますますうつくしく、黒い影となった木々の足元にそっと寄り添う草は、露を含んでみずみずしい香りを放っていた。薔薇とその賛美者が互いに口を利かずにいるには、いかにも不自然な雰囲気だった。
 ウィリアムの父、サパー伯の領主館は、それを取り巻く村の最北、山を背に負ってだらだら坂の天辺にのっそりと石造りの姿をさらしている。人通りの絶えた静かな村を抜け、戦乱があちこちで起きていた時代の遺物である無骨なそれが夜目にもあきらかになるころになって、ウィリアムはようやく覚悟を決めたように口を開いた。
「――ありがとう、ローズ」
 ローズは何も言わなかったが、彼女の手がぴくりと動いたことをウィリアムは知った。
「ぼくは……自分でも思うけれどね、時々とても考えなしだ。そうやっていい加減なことを言ったり、やったりして、いつだって君を傷つける」
 本当は、言いたいことをまっすぐに言わなければ、してあげたいことをそのとおりにしてあげなくては、心など伝わらないのだと知っている。そのための勇気を持たなくてはならないことも。
 今までに習い覚えたどんな言葉でも説明のできない、切ないような狂おしいような感情に押し流されて、ウィリアムはようやくこちらを見上げてきたローズをきつく両腕で抱きしめた。この勇ましく強い女性が、まだ彼女の前で強がっておどけることしかできない若造の自分自身よりも実はずっと華奢な骨格をしていたことに、いまさらウィリアムは気づいた。ローズの身体は彼の腕の中にすっぽりとおさまっていた。
「――君が好きだ、ローズ。……ローズマリー」
 ローズはおどろいたように目を見開き、それからまばたきひとつの内にさっと赤面した。それは羞恥と怒りがない交ぜになった、複雑な感情の色だった。彼女は平静を装うことに失敗したのだった。
「お言葉を……頂いたことは、嬉しく存じます。ですが、お戯れは大概になさいませ、ウィリアム様……!」
 ローズは若武者のたくましい身体をぐっと押し退けて顔を背けた。
「こんな――わたし、わたしなどをからかって、何が楽しいのです! お助けに上がるのが遅かったのを、そんなにお怒りですか!」
「からかってなんかいるものか!」
 切なく叫びながら、ウィリアムはローズの目から今度こそ涙があふれ、ぱたぱたと彼女の腕や彼の服を濡らすのを見た。
 ローズは泣かない女だった。ウィリアムは彼女の泣き顔を見たことがなかった。見ることがあるとも思わなかった。だがだからこそ、泣かないでくれとは言えなかった。ローズが泣くのは、それだけの理由があるからだった。
 ウィリアムはせまい馬上で可能な限り逃げまどうローズの腕をつかみ、今度は放さないとばかりに抱きすくめたばかりか、彼自身性急に過ぎると警鐘を鳴らすほどではあったが、彼女の唇に彼のそれをそっと合わせた。自覚したのがいつだったかなど思い出せるはずもなかったが、不埒な行為に及んだ理由の釈明を胸を張ってできるほどにはウィリアムはこの瞬間、ローズを愛していた。
「からかってなんかいるものか。ローズマリー、君はぼくの薔薇だ。君を愛している、心から」
 ローズは、今度はウィリアムからはなれようとはしなかった。ただもっと幼い少女のように彼の胸に頭をうずめて、生まれたての小さなけもののようなその体温を彼に伝えていた。ウィリアムは、そうして今ここに二人きりで、何者も彼らを引き裂きがたいほどに身を寄せ合っていることを幸福に感じた。
 やがてローズは目を伏せがちにしながら、許されないことです、とぽつりつぶやいた。そうしてそのくせその後に、吐息にまぎれさせるように小さく懇願した。
「でも……もう一度、ウィリアム様」
 自分の名を呼ぶその声がひどくやさしかったことに、ウィリアムは内心狂喜した。二人は静かに、けれども尽きがたく抑えがたい愛情をこめて、くちづけを交わした。
 薔薇はやさしい花盗人の腕の中で確かにほほえみ、花盗人はようやく手に入れた彼の薔薇をいつくしみ、天が「なべて世はこともなし」とつぶやくのを、ただ二人のくぐった城門だけが知っていた。

――終。


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