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それはわたしがアメリカに旅行に行った時のことだった。
二週間の行程の内すでに半分を消化したわたしたちは、ワシントンの西にあるアーリントン墓地に来ていた。そこは聖地である。比喩ではなく、彼ら自らがそう称している――「アーリントン国立墓地、わが国のもっとも聖なる霊場」と。
わたしたちがアーリントンに来たのは午後の早い時間だった。広がる無数の白い大理石と芝生の緑のコントラストは陽光に照らされて実に見事だったが、どこか不気味ではあった。ここにはまるで、世界中のあらゆる死者が埋められているようだ。
わたしたちは型どおりにケネディ大統領の墓石をながめ、写真を撮り、無名戦士の墓へと進んだ。アーリントンに入ってから、一時間ほどが経っていた。
無名戦士の墓は常に――それこそ二十四時間、三六五日欠かすことなく――銃剣を持った兵士によって守られている。その兵士たちは、今の季節なら一時間に一度交替の時間を迎えるが、わたしたちが訪れたのはちょうどそうした時間だった。
警護をしていた衛兵の他にもう二人が現れ、周囲にいたわたしたちに向けて長い英語の口上を述べた。わたしたちはなにかめずらしい動物でも見るような気分で、衛兵と、左胸に手を当てて目をふせるアメリカ人たちとをながめた。
くばられたパンフレットによれば、この儀式は十分ほどで終わるはずだった。しかしその日は、たまたま飾られたリースの交換も行われた。ボランティアなのか、それとも軍人の家族なのか、数人の子どもたちが彼らの手には大きすぎると思われるようなリースを、おごそかな表情で大理石の墓石にささげていた。
わたしはなにか陳腐な茶番を見たような後味の悪い気分になって、思わず踵を返した。この儀式が終わるまで、無名でありながらだれよりも有名になってしまった兵士たちのものではない墓を見ようと思った。
あてもなくざくりざくりと芝生を踏み、五分も歩けばあの神聖ぶった気配はなくなった。彼ら欧米人の仰々しさには、時たまついてゆけない部分がある。名もなく葬られたからには、死後も無名のまま通すが筋というものだろうに。
そう思ってため息をついた時、わたしはふと、ある墓石に花束をささげる老婦人に目を留めた。墓石が特別なものだったわけではない。婦人は、昔は美人だったかもしれないが、今はもう老いている。わたしがその光景に引き寄せられたのは、彼女のささげる花束が、バラの花束だったからだ。
バラはうつくしかった。つぼみが開いたばかりとおぼしきものは濃い山吹色で、今が盛りと咲き誇るものは桃色だった。完全に開ききった数本は、まるで牡丹かなにかのような形をしている。特有の強い香りは、風向きのせいかしなかったが、むしろそちらの方が清楚な感じがした。だがどのみち、墓石にそなえるにはあまりに不釣り合いな花だった。バラは、華やかすぎた。
わたしの不思議そうな視線に気づいたのだろうか、老婦人はつと顔を上げて、少し笑った。彼女は墓石をやさしげな手つきでなでながら、わたしに言った。この墓は、彼女の息子の墓だと。
老婦人はわたしに多くを語ったが、わたしは彼女の話をすべて理解できるほど、英語に慣れていなかった。わたしはそのことを、ひどく残念に思った。ただ、つたないながらも単語を追いかけ、想像でおぎなって考えるに、老婦人の息子はイラクへ行って帰らぬ人となった、彼はまだ二十歳でしかなかった、ということだけがおぼろげに理解できた。
わたしと老婦人の会話は、長くは続かなかった。ツアーで知り合った老人が、姿を消したわたしをわざわざ捜しに来たからだった。いわく、もう出発の時間だと。わたしと老婦人はたがいに軽い会釈をし、元の他人にもどった。
次の目的地であるスミソニアン博物館へ向かうバスの中、わたしはぼんやりとアーリントンでの出来事を、そして彼の地のゲートに飾られた「わが国のもっとも聖なる霊場」という言葉を思い返していた。なるほど、あそこはその言葉にふさわしい。そこに老婦人の名もなき息子が眠っており、彼女がバラをたずさえて墓参するという、ただそれだけで。わたしにとってはケネディ大統領の墓よりもそこで燃える永遠の火よりも、弔意をしめしてかかげられたままの半旗よりもそして無名兵士の墓よりも、老婦人の息子の墓の方がよほど神聖味を持っていた。
わたしはふと思いついて、先ほどわたしを捜しに来た老人に問うてみた。
「さっきアーリントンで、お婆さんがバラをおそなえしてたでしょう。あれ、なんて種類のバラだか知りませんか」
かつての世界大戦では特攻隊員で、今はバラを育てることが老後の楽しみ、と言っていた老人は、浅いうたた寝から目を覚まして数秒考え込んだ。
「あれは――アンネ・フランクですかねぇ」
「アンネ・フランク? っていうと、あのアンネの日記の」
そうだ、と老人はうなずいた。
「スブニール・ド・アンネフランクとかいうのが正式名らしいですが。日本語だと、『アンネの形見のバラ』ですね」
老人は少し沈黙して、窓の外をながめた。アーリントンはもうはるか後方で見えはしなかったが、わたしは彼の目に彼の地が、そしてアンネのバラが浮かんでいることを確信していた。
バスがスミソニアンに着くころ、老人はぽつりと言った。
「平和を願うバラですよ、あれは」
――老婦人は、国家の聖地でなにを思ったのだろうか。
それはわたしがアメリカ旅行に行った時のことだった。
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